新世界のオルゴール14

レイドックは歓声に満ちていた。
国民の愛するイズュラーヒン王子が国に戻り、結婚式を挙げているからであった。
ムドー討伐のときと同じくらいか、それ以上に王宮の中庭はごった返している。
跳ね橋はおろされ、城門は開け放たれ、民も兵も貴族も入り混じって宴を楽しんでいた。
ゲバンの悪政で疲弊したレイドックには豪華なものは残っていなかったし、それでも残っていたものはムドー討伐の祝宴と王子帰還の宴で使い果たしたし、王主催の宴の割には飲食物以外にめぼしいものがない宴であったが、王が少しそれを気に掛けていると知った国民がそれぞれの家庭の味を持ち寄ったため品目だけは豊富であった。
宴や祭が好きなレイドック王は、近い間にこんなに宴を開くことはいままでになかったと喜んでいたという。


城内に飽き足らず城下町に繰り出した少年鼓笛隊は、楽器を手に音楽を演奏し、王子と花嫁の話を国民に言いふらしていた。

「おれ、最初に妃殿下に話しかけたんだぜ!」

鼓笛隊の黄色のベレー帽を被った少年が前歯をニッと出して笑った。

「あのときの妃殿下といったら男よりもかっこよくてさぁ、御馬のファルシオンからヒラァッと飛び降りて、こう手綱を引いてだな、真っ白い指でおれにコインを…」
「おれだって!イズュラーヒン殿下のお側に寄って、記憶を無くされてた殿下に」
「僕も僕も!」

そんな賑やかな城下町の様子をテラスから眺めていたのは主役たちであった。

「ねえ、イザ、レイドックってすごく素敵なところよね」
「俺もそう思うよ」

イザは城下町を見渡してから改めて隣に立つ女性を見た。
彼には隣に立つ美しい女が自分と結婚したのだとはまだ信じがたかった。
彼女はあまりに美しすぎて…その姿のままコンテストの舞台を歩くのではないかと思ってしまうほどだ。

純白のドレスからお色直しをしたミレーユは、長い髪を結わずに背に流し、普段は着ないような肩を露出した夕焼色のドレスを身に着けている。
ギルドのサークレットがあった額には代わりに黄金のティアラが、派手な化粧をしない顔にもバーバラが気合を入れた口紅やらが散りばめられていた。
ドレスの裾から見える細い足は窮屈そうなヒールの高い靴を履きこなしていたが、足が疲れたのか爪先立ちになったり踵以外を浮かせたりしている。

「俺の父さんの国だ。…そして、俺の国なんだ」

ミレーユはくすっと笑った。

レイドックの人の気質は、一度そう決めたら勢いでやっちゃおうとするところね」
「お祭りが大好きなんだ」
「明るいのはすごくいいことだわ」

イザはミレーユの肩に手を置く。

「…俺を置いていかないでくれよ」
「ええ、勿論よ」

ミレーユは肩越しにイザの顔を見つめた。
不安はあるけれども、こうと覚悟を決めた顔で。

「神様たちがなんと言ったって、わたしはここを離れないわ。
それにね、ちょっと聞いてちょうだい、さっき、王立の魔法研究所を作るってシェーラ王妃と決めたばっかりなのよ。
レイドックの長い歴史の中で魔法を研究する建物なんて無かったって、今回初めてなんですって。
近くに鏡の塔みたいな凄い古代建築物があるのに研究しようともしなかったなんて信じられない」
「母さんもミレーユもそっちのほうに熱心だなあ…」

イザはその学者魂に半ば呆れながらも安心していた。
レイドックに来ることに気が進まないとか無いだろうか、本当はグランマーズの館でひっそりと夢占いの修行を続けたかったんじゃないか、などイザは少し不安を覚えていたのだった。

「…で、それでね、…ちょっとイザ?聞いてる?」
「ああ、聞いてる、聞いてる」

イザはミレーユを引き寄せた。
真面目な話をしていたミレーユは急にモードが切り替わらないらしい、引き寄せられて戸惑った様子を見せた。

「ど、どうしたのよいきなり」
「誰もいないし、ほら…」

どうしたのよと言われると言葉で説明するのが恥ずかしい。

しょうがないわね、と口では言いつつ可愛く目を閉じるミレーユの顎を持ち上げ、口付けた。
数秒、触れるだけのキスをし、イザが唇を開きかけたそのとき、

「おーい、主役がいないんじゃ始まらないぜー!」

ハッサンの陽気な(ほぼ完全に酔っ払った)声がテラスに響き渡り、二人はぱっと体を離した。



中庭に戻った二人は、片隅にやけに大きな男と長いマントを身に着けた女がいることに気付いた。
ミレーユは二人に近付き、会釈した。
大きな男は髭を撫でながら豪快に笑い、手に持ったワイングラスを掲げる。

モシャスを掛けてもらってね、どうしても見に来たかったのだ」

ミレーユの本当の両親―――魔人フランボワヤンと、翼人リディアであった。
リディアのほうはモシャスではないらしい、マントの下に翼を隠しているのかやけに背中のほうが膨れている。

「よく似合ってるわ、ミレーユ」

イザにはリディアの顔にミレーユの顔が被って見えた。
端正な顔に金色の髪、切れ長の目…彼女の目元は満足げに微笑んでいた。
彼女もまた、長年の重責から解放されたのだろう。

「この世界に残ることにしたのですね」

リディアの伸ばした手がミレーユの頬を撫でる。

「何があってもしっかりと生きてください。私たちも、空からあなたを見守っています…」

アモスとモンスター達が叫び声を上げながら駆け寄って来るのが見えた。
ミレーユそっくりの格好をしたホックがテリーにカツラを奪われてそそくさと影に隠れるのが見え、イザは笑い出した。
バーバラとハッサンが肩を組んで非公認なイズュラーヒン殿下の歌を熱唱し、チャモロがなにやらお茶の準備をしている。

完全に出来上がったハッサン、バーバラ、アモスにピーピー囃され、取り囲まれてイザは膝を折った。

「妃殿下、わたくしめと一曲踊っていただけますか」

ミレーユは優雅に屈んでイザの手をとった。

「よろこんで」

中庭には新郎新婦を見ようと大勢の人々が押しかけた。
楽家たちの陽気なリズムに合わせて二人は作法も気にせず思うがままに踊る。
二人は片時も手を離すことはなかった。




ザアアアアアア…

滝の音が大きく、他に何も聞こえない。
一冊の書物を手に、銀髪の剣士は滝を仰いだ。

「竜になれば、境界線を越える事が出来るだろうか…」

彼は歩き出した。
―――新しい修行の旅へと。


(第一部 完)