幼少ぱられる
※この作品は9年前の話です。イザは9歳で、ミレーユは14歳です。
「あれ、ここどこ?」
イザは顔を上げた。
レイドック城の庭でセーラとかくれんぼをしていたらいつの間にか眠ってしまったらしい、目を開けるとそこは城の庭ではなかった。
夕暮れの草むらは広々と優しく穏やかだ。城の庭とはまるで違う、さえぎるものが何もない広い草原、あちらこちらに花が咲いている。
ひらひらと一匹のモンシロチョウが舞い、イザの前を通り過ぎていった。
「セーラ?」
イザは最初に大切な妹のことを思い出した。
ここはどこであるかは置いておいて、まずは妹のことだ。
泥の入った皿を持ってきて、はいスープですよなんて出してくる、おままごとに夢中な5歳児だけど、イザにはかわいくてしょうがない唯一の妹だった。
しかし、見渡す限りの草原、イザの背後には森林があり、とてもセーラがいるようには見えなかった。
途方にくれたイザの顔の前を蝶がぱたぱたと飛んだ。
捕まえようと手を伸ばしたイザを呼ぶように、またひらりひらりとゆっくりと飛んでいく。
「まてよっ」
イザが追い始めると、蝶もひらひらと逃げて森の奥へと進んでいく。
蝶に導かれるように進んだイザは、不思議と、森の中へ行くことを怖く感じなかった。
木の根をまたぎ、枯葉を踏み鳴らし、すっかり暗くなった森の中なのに妙な明かりがさしていることに気付いた。
その明かりは先のほうからほのかに放たれていた。
「うわ…」
イザは思わず息を呑んだ。
木はそこだけ生えていなかった。
美しく、円を描くように白くて磨かれた丸い石が並べられており、中央には四角い石がある。
その石にはなにか刻んであるけれどもイザには読めやしなかった。
空を見上げるように石が置かれ、四角い石の周りの丸い石はぼんやりと光を放っている。
先ほどの森の中から見えた明かりはこの丸い石が放つ光だったのだろう、ひとつひとつは小さいが、円を描いて集まっていると、今が夕暮れだということを忘れるほど明るく感じた。
石に近付こうと一歩踏み出すと、踏みしめた枯葉がひときわ大きく鳴った。
「だれ?」
少し低めの女の声が聞こえた。
イザはどきっとした、こんな場所に人がいるとは思わなかったのだ。
イザが来たほうと逆のほうから、少女が歩いてきていた。
金色の髪、青い瞳、整いすぎた顔に細い手足。
粗末な白のワンピースに、履き古された青色の靴を履いて立っている少女が、イザにはこの神秘的な空間に住んでいる妖精のように思えた。
「僕はイザ」
イザにはとっさに妹の行方を聞くということしか思い出せなかった。
「小さい女の子を見なかった?僕の妹なんだけど」
「さあね、見てないわ」
少女は静かに答えた。
その言い方は大人びていて冷たく、イザの周りにいる人間たちに似ていた。
城にいる子供はイザとセーラくらい、あとはほとんど大人なのだ。
「こんなところに小さい子連れてきちゃ、あぶないわよ」
緊張して固まるイザを気にせず、少女は石のほうに歩き出した。
ここは彼女のよく知る場所なのだろう、イザは来てはいけない場所に来てしまった気がした。
「庭でかくれんぼしてたはずなんだけど」
「気付いたらここにいた?」
少女は小さく笑った。
人形のように凍った表情しかしないのかと思っていたイザは少女の微笑みに安心感を覚えた。
自分に姉は居ないけれども、姉が居るのもいいなと思った。
「あたしはミレーユ。あなた、この辺の子じゃあないわね」
少女はイザの服を指差す。
「この辺でそんな服着て歩いてちゃ危ないわ。
悪いけど、こっちの方には行かないほうがいい、ギンドロ組に身包みはがされるわよ」
「ギンドロ組…?」
「やっぱり知らないのね。…ううん、知らなくていいわ」
イザは自分の着ている服を改めて見た。
今日は半ズボンとハイソックス、靴、ベストとブラウスだ。
ベストは今日新しく衣装係の人が着させてくれた新しいやつだから、目立つのかもしれない。
そんなことをイザが考えていると、少女…ミレーユが声をかけてきた。
「とりあえず座ったら?」
ミレーユとイザは四角い石を挟み、向き合って座った。
「どこの子か知らないけど、結構いい生活してそうね。どこに住んでるの」
「レイドック城だよ」
「…レイドック城ですって?」
ミレーユは目を丸くした。
そして左右、背後を確認して唇に指を立てた。
「寝言は寝てからおっしゃい…!困ったわね、もうすぐ暗くなるのに。どうやったら帰れるのかしら」
最初会ったときは近付いてはいけないようなオーラを醸し出していたミレーユであったのに、今はイザのことを親身になって考えてくれている。
この人は悪い人じゃないんだな、イザは直感的にそう感じていた。
「あたしもね、弟を探してたのよ」
ミレーユは苦笑した。
「あの子ったらこないだ川に落ちておぼれかけて、今度は森で道に迷ってるなんて。
ほんとに手がかかるやんちゃ坊主だわ」
ミレーユは楽しそうに話して、ふとそこでいきなり黙った。
「ねえ、お城で暮らすってどんな感じ?」
「え?」
イザはミレーユを見つめた。
ミレーユは真剣だ。青い目が銀色がかって冷たそうに燃えている気がした。
「あたし、ガンディーノのお城にいくことになったの。
まだおかあさんたちには言ってないんだけど…」
「僕の家は、大臣のゲバンの家よりも地味なんだってゲバンが言ってたよ」
イザは顔色の悪そうなゲバンを思い出した。
「でも、ちゃんと庭もあるし、兵士たちもみんな優しいし」
「レイドックはいいところなのね」
ミレーユは目元を緩ませた。
「ガンディーノはどうかしら…」
「行きたくないの?」
「ええ、行きたくないの」
ぼんやりと光る足元を見ながら、うつむいてミレーユが言った。
「でもあたしが行かないと、大切な友達が行くことになるかもしれない。一回行ったら帰れないのよ、おとうさんともおかあさんとも、おとうととも会えない」
「レイドックだったら僕が家に帰してあげるのに」
イザは唇をかんだ。ミレーユは驚いたようにぽかんと口を開け、盛大に笑った。
「うふふふ、レイドックの王子様は立派ね」
「だってお城に来たら家に帰れないって変じゃないか」
「いいの、それが普通なのよ」
ねえ、とミレーユが言った。
「もし…あなたがおおきくなってガンディーノに来ることができたら、あたしを連れ出して。レイドックに連れて行って」
「うん」
イザは素直に頷いた。
一人くらい女の子を城に連れてきても両親は悪く思わないだろう。
ミレーユはとてもきれいだし、すごく大人のような話し方をするから大丈夫だろう、そうイザは一人で納得した。
「ちょっと」
ミレーユは立ち上がった。急にイザのほうに歩いてきて、イザの腕をつかむ。
「あなた透けてるわよ」
「えっ」
イザは自分の体を見下ろした。
「ミレーユ…!」
「帰るのよ、王子様、ここにいちゃいけないの…!」
ミレーユがつかんだ腕の感触が遠のいていく。
イザはとっさに腕につけていた飾りをミレーユの手に握らせた。
「おおきくなったらガンディーノにいくよ…!」
遠のくミレーユが言った言葉は小さくて聞き取れなかった。